創立者 柳谷素霊について
創立者 柳谷素霊
世界的鍼灸医学界の権威者、鍼聖・柳谷素霊は、第1次・第2次世界大戦後(大正から昭和の時代)の激動と混乱のなか、臨床家、教育者、哲学者として日本鍼灸界の危機的な衰退を防ぎ、業界の発展と後進の育成に卓越した手腕を発揮しました。
創立者・柳谷素霊の大いなる遺産
当校創立者の柳谷素霊は、これらの古典を読むことを重要とし、「古典に還れ」と唱導しました。当校では師の素志を受け継ぎ、古典読解のための授業を設け課外でも積極的に勉強会が催されています。
昭和28年、29年には著名なフランスのバラー・デュポン医学博士、 ドイツのヘルベルト・シュミット博士、カナダのハンス・セリエ博士が続々と来日して活発な国際交流を展開。特にフランスのバラー・デュポン博士は、柳谷素霊の磨き抜かれた「術」と「技」に深い感銘を受けて3カ月間弟子入り。柳谷素霊に心酔したバラー・デュポンは、帰国後、柳谷素霊のフランス招聘に尽力し、 昭和30年、柳谷素霊は国際鍼灸学会の招聘を受けて渡欧、その直後、フランスの医師団の前で見事な鍼さばきをもって日本鍼灸の極意を披露、柳谷素霊の『神の手』の如き「術」と「技」に大きな衝撃を受け、驚嘆したと言われています。フランスのマスメディアにより日本鍼灸が大々的に紹介され、その反響は著しく、パリでは柳谷素霊の争奪戦が繰り広げられたとのこと。行く先々で約五千名以上の医師達に大きな影響を及ぼしたことは伝説的な語り草となっています。
フランスで日本鍼灸の一大旋風が巻き起こる中、柳谷素霊が訪問したドイツ、ベルギー、イタリアでも日本鍼灸が一躍脚光を浴び、当時は日本が世界鍼灸界をリー ドしていたと言っても過言ではない時代でした。日本鍼灸国際化の先駆けとなった柳谷素霊の崇高な思想と精神、その偉大なる数々の業績は燦然と輝きを放って脈々と語り継がれ、本校に強い影響力を及ぼしています。本校は柳谷素霊の大いなる遺産を受け継ぎ、発掘し、現代に光輝かせて更なる新しい創造と進化を遂げ、本物の伝統を未来に託す重責を担った誇り高き専門学校です。
教育理念と本校の特徴
『教育理念』
創立者・柳谷素霊の「温故知新」の教えを継承し、古典(素問、霊枢、難経)から始まり現代に至る鍼灸道の成果を後世に伝え、発展させていくことを教育理念とする。
『教育目標』
歴史と伝統に培われた日本独自に発展を遂げてきた鍼灸医学を継承する。
独立開業を目指し、プロフェッショナルにふさわしい知識と技を修得する。
情操教育により、知性と教養、道徳性と社会性を備えて心身の健全かつ感性豊かな人間性を形成する。
『教育設備』
素霊記念館(柳谷素霊の遺作と遺品)図書館、閲覧室、実技棟、学生サロン、附属臨床施術所、パティオ、講堂(多目的ホール)完備。最先端のIT技術を駆使した2Fの臨床施術所のPBL型臨床実技実習授業を、1Fのカンファレンス・ルーム7台のハイビジョンに繋いで一体化した映像による授業の実況中継を実現しました。
『本校の特質』
鍼聖・柳谷素霊は「鍼灸はあくまでも臨床の医学である。」ということを念頭に、「我々は古典的、臨床的、経験医術的立場を堅持することにより古典的鍼灸の臨床的現場を惜しげなく露呈し示し、研究素材を提供し、鍼灸の科学化を推進する重責を担っている。」と説いています。
本校では、東洋医学の本質を理解するために古典の奥深いところに光を当て、過去から現在にいたる伝統鍼灸の真髄を探求しつつ、「温故知新」、「百練自得」、「愛と思いやり」の精神を心底に据え、国民の健康と保健に寄与するプロ鍼灸師の育成を行っています。
写真で見る海外での業績
昭和30年(1955)6〜9月にフランス国際鍼学会の招聘により渡欧。海外に日本の古典鍼灸術を紹介しました。