鍼灸医学の治療法
鍼灸医学の治療法
中国医学は、鍼灸、湯液、養生の三部門から成っています。日本の制度では、湯液は別の資格(医師・薬剤師)が必要ですので、鍼灸師は処方ができませんが、中国医学の真髄を見極めるためには、不可欠な知識です。
また、貝原益軒の『養生訓』で有名ですが、養生は病気予防、病気治療には欠かせません。
当校では、幅広い知識を有する臨床家を育成するために、養生だけではなく、湯液の授業を設けています。これによって、適応能力の広い鍼灸師が育っています。
中国医学が、最初に日本にもたらされたのは奈良・平安時代です。当時の中国は灸療法が盛んに行われていましたので、それが伝わりました。日本では灸療法は今でも行われていますが、日本人の体質に合っていたためだと思われます。意外にも、現在の中国では灸療法はほとんど行われていません。このように、灸療法は唯一日本に残された治療法といえるでしょう。
当校では、現代人に合わせた方法と、伝統的な方法を教授しています。
室町時代になると、中国から医師を招いたり、留学したりして、積極的な学術交流がなされました。この当時の中国は、灸に代わって鍼が主流になっていましたので、わが国には鍼療法が普及しました。灸療法は廃れることなく、依然として盛んに行われました。おそらく、このころもたらされたのが「九鍼」、つまり多くの種類の鍼の使い方を学んだものと思われます。
日本で通常用いられているのは「毫鍼」という繊細な鍼ですが、九鍼に含まれる鍼は、刺さない鍼、太い鍼、長い鍼、切開する鍼など、多岐にわたっています。これらを修得するには一定の時間を要しますので、当校ではもっぱら鍼灸科でこれを教授しています。
江戸の初めに鎖国が行われ、中国との交流も途絶えてしまいました。「学ぶ」時代から、自分たちで「創り上げる」時代になり、今までに学んだ灸療法、鍼療法を下地に、日本人の体質に合った新しい鍼灸医学が創り出されました。この時代に日本人の体質にあわせた細い毫鍼が開発され、それを刺し易くするための鍼管も発明されました。また、打鍼という日本独特の鍼法も編み出されました。
当校では、銀製の豪鍼を用い、昔ながらの訓練法で技術向上を図っています。また、鍼灸科では打鍼法も教授しています。